自意識過剰な生活

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ライターの自分の文章に対するプライドが高すぎる件

今、(元)紙のライターさんと一緒に働いているんだけど、自分の文章に対するプライドが高いため、側で見ていて仕事する上で大変だなと思ったし、必要なプライドと無駄なプライドってあるよなとも思った。

 

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私もライターとして短期間だが働いていたことがあるので、自分が書いた文章をけなされるのは結構ダメージが大きいことは分かっている。言い回しがくどいとか話が繋がっていないとか、単純なことでも自分で生み出したものだと気づかないもので、全面的に修正されたりした。でもそれって間違ったやり方をしていた場合や、考え方のプロセスが違う場合、どんな仕事でも指摘されることだと思っていて、文章の場合は赤入れに当たるもの。だからすぐに完璧にできるわけではないし、いっぱい修正が入っても次はそれを活かそうとか前向きに捉えていた。

ただ、他の仕事と違って複雑な点は、文章の善し悪しは人によって違うってこと。同じ文章を読んでも分かりやすいと思う人もいれば、分かりにくい人もいるという人もいる。言葉の選び方、言い回しひとつとってもどうしても個人の好みが入るから修正するのもそれを納得するのも難しいところがある。

 

私が経験したのは、商業ライターというジャンル(?)で、企業からユーザーへのメッセージなど、誰かから誰かへ伝える文章を作っていた。そこにはブロガーとかエッセイストみたいに自分はこう感じたなどの意見は不要。とにかく自分ではない誰かの立場から、その人が伝えたい相手に分かりやすく伝えたいことを伝える、ということが求められた。

ライターとして勤務していたときの女性の先輩はとにかくプライドが高かった。”会社で作る文章は私が必ず目を通しているから”、”これ全部私が作ったから”、”フリーのときはかなり稼いでいて年収下げて入社したから”(だったらなぜフリーをやめた…??)、などが口癖のめんどくさい人。インタビュー原稿に先方から修正が入ると、ファイルを開いたときからずっと、”これじゃあ文章がつながらない”、”これすると流れがおかしくなる”、”この言い回しはくどすぎる”、などの文句が止まらなかった。とにかく自分の文章に赤が入ることに腹を立てていた様子。でも私は赤が入った原稿を見てもおかしいとは思わなかったし、その方が良いと思ったことも多い。元々は、企業が書いてくれればライターの仕事なんてなかったわけで、書いた文章が企業の伝えたいことと違うのであれば修正すべきだろうと思ったのだが。結局のところ赤入れされた原稿を微調整して入稿という流れになるのだが、この毎回の儀式がなんとも億劫だったな。

そして、今の会社でも長く雑誌でライター・編集をやっていた女性の先輩がいる。インタビュー原稿を企業に提出したところ、相当な赤入れが入って返ってきた。やはり赤入れに敏感になっていたようで、移動中にスマホでチェックしていてすぐに連絡してきた。そして”あんまり赤入れされると凹むな〜”とぼそっと漏らす。正直なところ、今回は赤入れされた文章の方が俄然思いが伝わって良くなった。赤入れ後の文章読んでくれたのかな。最初の原稿を読んだときにインタビュー相手の熱量がトーンダウンしていて心配だったけど、案の定修正されたので個人的には安心している。その先輩ライターは翌日休むので、修正系はすべて私に丸投げ。後はどうなってもいいんだろうなー。プライドあるくせにやりっぱなしだぜ。

 

自分の仕事にプライドを持つのはいいけれど、必要なプライドなのか無駄なプライドなのかはちょっと考えてほしい。ただ、自分を否定されたと感じて腹を立てる、みたいになっている人を見ると哀れに感じる。

特に前職の先輩に限っていうと、不満をまき散らしているため周りも文章の指摘や変更依頼を気軽に出せなくなり、先輩ではなく外部のライターに発注したりしていた。その原因に本人は気づいていないし、自分がやらないことでクオリティが担保できないとかまた文句は言っていたけど。

逆に私はプライドがなさすぎなのかなー。修正されるのは気持ちよくはないけれど、このままでOKです!って言われる方が不安だわ。たとえインタビューしたとしてもそれだけで思いのすべてを原稿に落とすことは難しいと思うし、相手からの意見を取り込んで検討するからこそ良いものになると思うので。共同作業したいのよね、面倒だけど。

あ、お金が発生する場合はこんなことではまずいのかもしれないが。