自意識過剰な生活

「私が楽しくて充実した人生」を送るための毎日

5年間続けた習い事をやめたら、意外にもスッキリした

私には20代後半から始めた習い事があった。軽い気持ちで始めた、完全なる趣味だったが、その習い事が楽しくてハマってしまったことや、一緒に習う友達に恵まれたこともあり、予想外によく続いたなーという印象。もうすぐ6年目に突入という時期だった。

 

その習い事の教室は、この時代にやけに古風で理不尽な規律があり、家族経営のワンマン体制で運営されている。教室の運営に関しては、はじめから納得できないことばかりだったので、振り返ってみるとよくこんなに我慢できたなと、思わぬところで自分の我慢強さに気づく象徴的な出来事でもある。

 

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sallychan00.hatenablog.com

 

10月にはすでに悩んでいた模様。というか、やめることはずっと頭の片隅にはあった。

というのも普通にこの時代に働いていたら、”お教室”独特の世界の狭さとか、先生をまるで教祖として崇めることとか、それを強要されることとか、先生の搾取ぶりとか搾取されるお金の不透明性とか、教室の運営に納得できないことがたっくさん!

 

それでも習い事が楽しくて、仲間とひとつのことを成し遂げようとすることに夢中で、それを手放したくないから続けてこれたんだけどね。

でもいろいろと一段落して考え直したら、ネガティブなことの方が割合が大きくなってしまったんだよ。もう夢中ではいられなくなったのかもしれないな。それに気づいちゃったら無理してまで続けられない。仕事じゃないし、お金払って自分の時間を削ってまで、嫌なことするなんてできない。

ただの趣味なんだから、やめることにした。

 

 

嫌だったこと

古くからある習い事をやっている人なら分かることも多いんじゃないかな。日本舞踊とかはお布施とかもケタが違うとか聞いたことあるし。

 

1)教室の運営方法に納得できない

毎月の月謝の内訳、イベント参加費の内訳、さらに意味不明なお布施やボランティアでの教室掃除など。あまりにも運営側にサービス業としての意識が欠けていて、時代錯誤感が半端ない。仕事でイベントに参加できないと評価が下がって、次のイベントには声かけられなくなるし、いっぱいお金を出した人が優遇されるというシステムにゲンナリ。

 

2)先生を教祖とした宗教。上級者は側近としての役割を強要される

先生の荷物を持ったり、パシられたり、タダでお手伝いしたり、すべては善意での対応を求められる。先生が参加した場合飲み会ではお金を請求しないし(勝手にみんなで割ることになっている)、お誕生日のお祝いもお歳暮も必須だし、ほんとくだらない。。てかおかしくないかい?

先生は人格者かというとそんなことはない。女性しかいない習い事だから、機嫌が悪いとすぐに分かるほど顔に出しまくる。なんでお金払ってまで理不尽に怒られなきゃいけないんだよ。。

 

3)その教室のトップレベルにまで達した。もう毎年同じイベントしかない

新しいことを企画するのが苦手みたい。というのも生徒たちが楽しく続けられるような何かを仕掛けよう的な発想がないんだろうな。毎年同じイベントにしか参加しないんだから、さすがに飽きるわ。長く続ければ続けるほど、マンネリ感・停滞感が半端ない。各レベルでの目標設定をきちんと明示してくれればいいのに。

 

4)仲間とは仲良くなったものの、人間関係が面倒になってきた

はじめは何十人と同じクラスの子たちがいたけれど、20代〜30代のお年頃の女性がメイン。結婚やら出産やらでどんどんやめていく。他にも教室と合わない、楽しくないという理由で、やめていく人たちもいる。

長く続けている子たちのメンツも固定。何年もやっていると相性の良い悪いもあって、面倒なことも多い。やっぱり女性だらけの習い事は面倒だ。

 

 

 

最後の一押しは、仕事

 

とはいえ、これらはずっと考えていたこと。分かっていたことだからこそ、これだけだったらやめることはなかった。

最後の最後に、やめる一押しになったのは、仕事の忙しさ。この習い事っていうのが、平日にしかやっていないわけだよ。仕事が忙しくなった私は、平日のレッスンに参加できないことが多くなっていった。

 

着替えとか朝から準備して会社に持っていき、必死に仕事を終わらせて早めに上がって急いで向かっても少し遅れちゃったりするのもストレス。逆に準備万端で今日は行けると思ったら、急に打ち合わせが入って休まなきゃいけなくなるのもストレス。

とにかく習い事の日はストレス値が高かった。

 

仕事を何の考えもなしにやめることはできないからね。ならいっそ、自分のためにどうするのがベストなのかを考えたときに、習い事をやめようと思った。

夢中なときは気づかないし、5年も続けてきたから習い事がない生活なんて簡単には想像できなかった。あるものを失うのはとても怖く感じる。

でもそろそろ限界。今でも習い事自体は好きだし楽しいけど、この状況で、あの教室で続けるのは潮時だったんだろうな。

 

 

習い事をやめて快適な生活を手に入れた

 

結果、良い判断をしたと思う。

 

実際にやめてからは、ちょこっと運動不足だけど、今のところ快適な生活を送っている。仕事ももう少し忙しくなってきたから、あのまま続けていたらお金だけ払う生徒になっているところだった。今は(当たり前だけど)月謝を払わなくてよくなったし、教室の運営にイライラすることもなくなった。

 

やめたときに仲間とのグループラインに挨拶だけしてすぐに退会したんだけど、その後直接連絡きたのは会うと話す程度の先輩ふたりのみ。いつも一緒に遊んだり話していた同期の子たちからは一切連絡なし!

まあ事前にこちらから一言も言ってないのに、連絡がこないからって怒るというのもおかしな話だけど、ちょっと寂しく思ったのも事実。。

でもこれで未練なくスッキリしたとも言える。結局お互いにそれだけの仲だったというか、最近は疎遠になっていたんだろうな、と。私が感じていた違和感はみんなも持っていたということだ。

 

一種の宗教であるから、みんなからはずれて夢中になれなくなった私の方が異端児だったんだと思う。

寂しい部分もあるけれど、もう彼女たちと同じ場所にはいられないから仲良くしていくことは無理。それくらい、あの場所は特別で限られた場所なんだと思う。

 

 

ステージを変える時期

 

習い事に対して楽しみが減ってきてからは、続けることで縛られることの方が多かったので、今回やめたことでだいぶ生活がシンプルに、快適に、選択肢が広がった。長年生活の一部として続けてきたことがなくなったわけだから寂しい部分もあるけどね。

一時期重なっているけど新たに書道も始めたし、これから他にも新しいことにチャレンジしていきたい。

 

悪い点をメインにあげてしまったけど、この習い事を続けている5年間はいろいろな経験ができて、おもしろい仲間にも恵まれて、仕事しかしていない生活よりも、充実したとっても濃厚な生活を送ることができた。習い事をしていたことで救われたこともたくさんあったから、私には欠かせないものだった。

 

そのときそのときで、自分に必要なものは変わると思うの。この習い事は一旦卒業。これからの私に必要なものを探そう。

 

 

習い事をやめたことは、私の中で2016年のビッグイベントランキング、ベスト3に入る出来事だな。

今年の振り返りもそろそろやろうかな。来年の計画もセットで考えたい。