モチベーション教にならないように気をつけている話
これまでの人生、振り返るとモチベーションをあれこれ理由にしてきたなーと。
なんでもかんでも”モチベーション”という言葉を使ってきて今思うと少し恥ずかしい。
仕事が続かないのも、彼と続かないのも、習い事が続かないのも、すべてモチベーションが湧かないから。
どんだけモチベーション至上主義なんだって話だなあ。
大事な割にはひとつも管理できていなくて、結局したいように行動してきてまったく管理できていなかった。
楽しいときだけ、調子の良い時だけ”モチベーション”と連呼していた。
自分でもうまくいかないことが多くて、違うことには薄々気づいていたんだと思う。最近はこんな言葉が気になるようになった。
モチベーションなんて存在しない。
モチベーションに頼るのは間違っている。
私の中で”モチベーション”は気分という意味に訳されていて、調子がよくなかったり気分が乗らなかったりするときの言い訳として、”モチベーションが湧かない”と都合良く言っていた気がする。
ただの言い訳ね。
ということで、モチベーションを理由にしない・気にしない生活をしているこの頃。
そんなぼんやりと思っていたことをはっきりと言語化してくれたVoicyを発見。
イケハヤさん、、ズバッと言ってくれてありがとう。より深く理解できた気がした。
当たり前のことなんだけど、意外に気づいていないことって多い。
モチベーション教の人、けっこういるよね。かつては私も信者だったけど、特に仕事は気分でするもんじゃないわ。
ぜひ聞いてみて。おもしろいから⬇️
勝手にまとめてみた。
・”モチベーションを管理する”と考えている時点で違う
・管理が必要なことはやらない
・嫌なことをやっているから管理が必要になる。好き・楽しいなら自然と続く
・気分は変わる。やりたくなくなったらまた楽しく続けられることを探す
・イケてないことを続ける必要はない
その通り!と思うことしかなかった。
楽しいことを探してやり続ける生活がしたい。
フリーランスになって(まだ動き出して少ししか経っていないけど)思うのは、嫌な人や物事からは距離を置けるようになった・なりそうってこと。
会社員のときの業務って部署とかポジションに紐づいているから、自分が変わるか相手を変えるかしないといけなくて、そのどちらも自分の都合で変えるのは難しかった。
でも今は少なくとも会社員のときよりも自分の都合で仕事を選べる。
まだ好きな事だけをするほどの力はないけれど、嫌いな人とか苦手な事を避けることはしやすくなった。
そのおかげで精神的にすごく楽になったよね。
話がずれたけど、仕事はモチベーションに頼らず淡々とこなすということを実践している私。
まだまだ好きなことばかりじゃなく単調な仕事もあるけれど、変にモチベーションを上げようとか思わないからいい感じで続けられそう。