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「職業としての小説家」村上春樹 プロで居続けられることは壮絶に難しい

村上春樹のエッセイになるのかな、「職業としての小説家」を読んでみた。

毎回ノーベル文学賞が発表される度に名前があがって騒がれて大変そうだなという印象があったくらいで、あまり詳しくなかったのだが、本人の考えを知って好きになった。

 

職業としての小説家 村上春樹

 

以下ただのメモの一部にコメントを好きにつけてみました。

 

・小説なんて、書こうと思えば誰にだって書ける。

しかし、リングに上がるのは簡単でも、そこに長く留まり続けるのは簡単ではない。

小説家として残っていくには「何か特別なもの」が必要になる。

→これはよくその道のプロの人が言っているのを聞くが、小説なんて資格も何も必要ないものは特に顕著なんだろうな。

 

・神宮球場で野球観戦中に、僕には小説が書けるかもしれないと脈絡もなく思う。
エピファニーepiphany:本質の突然の顕現、直感的な真実把握、のような意味
「ある日突然何かが目の前にさっと現れて、それによってものごとの様相が一変してしまう」という感じ。
この日、球場からの帰りに原稿用紙と万年筆を買い、およそ半年かけて「風の歌を聴け」を執筆。

→これも有名な人のエピソードでよく聞く話。こういう何かが降りてくる感じがあるのかな。例えだと思うけれど、心の底ではずっとそれを願っていたってことかしら。

 

・小説を書いているとき、「文章を書いている」というよりはむしろ「音楽を演奏している」というのに近い感覚。
頭ではなく、むしろ体感で文章を書く。素敵なリズムを確保し、すてきな和音を見つけ、即興演奏の力を信じること。
書いていて楽しい。

→すごく素敵だと思った。

 

・特定の表現者をオリジナルであると呼ぶためには、次の条件を満たす
1)ほかの表現者とは明らかに異なる独自のスタイルを有している。
 ちょっと見れば・聴けばその人の表現だと瞬時に理解できなくてはならない
2)そのスタイルを自らの力でバージョンアップできなくてはならない
 時間の経過とともに成長していく、自発的・内在的な自己革新力を有している
3)その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキ(精神)に吸収され、価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない

「オリジナルな表現者」でありたいと願っている。

→一発屋の説明もあり、なるほどと思った。

 

・35年くらい小説を書き続けているが、英語でいう「ライターズ・ブロック」つまりスランプを一度も経験していない。
なぜなら書きたいという気持ちが湧いてこないときには書かないから。

→かっこいい。新人のときや名前が売れていない人が同じことをしてもハブられそうな気がする。。

 

・小説家になろうという人にとって重要なのは、とりあえず本をたくさん読むことでしょう。
その次に来るのは、自分が目にする事物や事業を、とにかく子細に観察する習慣をつけること。
まわりにいる人々や、周囲で起こるいろんなものごとを何はともあれ丁寧に、細かく観察する。そしてそれについてあれこれ考えをめぐらせる。
ものごとの是非や価値について早急に判断を下す必要はない。

明確な結論を短時間に出す人は、評論家やジャーナリストの方が向いている。

→なるほどー。これはどの業界でも同じことが言えそう。

何かを作り出すクリエイターと、できたものを見て論評する批評家の違い。

クリエイターとその他っていう括りでもいいかも。

 

・E.Tが物置のがらくたで即席の通信装置を作るシーンがある。
優れた小説とはきっとああいう風にしてできるんでしょうね。

何よりそこになくてはならいのは「マジック」。
そして日常的な素朴なマテリアル=「がらくた」の在庫を常備しておく必要がある

特別な体験もしていないから、特に書きたいものがない。E.T方式でいくしかない。
とにかく引っかき集めてぽんっとマジックを働かせる。

→これもなるほど。

たしかに素材なんてみんな同じのを使っているわ。

 

・まず長編を書こうとするとき、机の上をきれいにする。
そして書き物の仕事を受けない。エッセイや他の小説などもしない。
長編の場合、一日に四百文字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことをルールとしている。
長い仕事をするときには、規則性が大切な意味を持ってくるから
タイムカードを押すみたいに、一日ほぼきっかり十枚書く。

→小説家は気まぐれで不規則な生活をしているイメージがいまだにちょっとあるけれど、村上さんはサラリーマンのような規則正しい生活をしている。

長編を書くのはそれくらい大変なことだってことか。

 

・我慢強くこつこつと続けていくためには何が必要か?
言うまでもなく持続力です。
持続力を身につけるためには、基礎体力を身につけること。
逞しくしぶといフィジカルな力を獲得すること。自分の身体を味方につけること。

→30年間毎日走ってるいるそう。今でこそ有酸素運動が脳に良いと言われているけれど、それが広まっていない頃から続けているらしい。

 

・意思をできるだけ強固なものにしておくこと
そして同時にまた、その意志の本拠地である身体もでいるだけ健康に、できるだけ頑丈に、できるだけ支障のない状態に整備し、保っておくこと

→走ることを続ける理由はここにある。

 

・誰のために書いているのか?

自分のために書いている
自分が「気持ちよくなる」ことだけを意識して小説を書いた
またそこには「自己治癒」的な意味合いもあった、自らを補正しよう、矛盾やずれを解消していく、昇華していく

→これは分かるな。まずは自分が楽しめないと他の人を楽しませることはできないと思っている。

 

・ジャズピアニストのセロニアス・モンクの言葉
「私が言いたいのは、君のやりたいように演奏すればいいということだ。
世間が何を求めているかなんて、そんなことは考えなくていい。
演奏したいように演奏し、君のやっていることを世間に理解させればいいんだ。
たとえ十五年、二十年かかったとしてもだ」

→かっこいい。プロが言うと重みが増すなあ。

 

・日本国内で批評的に叩かれたことが、海外進出への契機になったわけだから、逆に貶されてラッキーだったとも言える。
どんな世界でもそうですが、「褒め殺し」くらい怖いものはありません

→当時の雰囲気や時代感もあったのだろうけど、どうしてそんなに村上春樹が文芸界から叩かれて批判されたのかよく分からない。

新しいものは常に叩かれるのだろうか。

でも逆にそれが彼の価値を高めることにもつながったような気もする。

 

 

作中で頻繁に出てきた村上さんの初作品「風の歌を聴け」。これで群像新人文学賞を受賞して作家としてデビューした。

すごい思い入れが強いのが分かる。

気になったので次に読んでみる。

 

  

小説家になりたい人だけじゃなく、ひとつの分野のプロフェッショナルになった人、さらにプロフェッショナルとして居続けられる人の考えが分かる本。