「平成くん、さようなら」古市憲寿 安楽死と都会で成功した若者と
ちょっとそれっぽいタイトルにしてしまった。。
数年前の芥川賞ノミネート作品。
作家ではないのにすごいねえ。
安楽死を望んでいる
最近「死」について考えていたので、タイムリーな内容だったなと思った。
(寿命ではない突然の「死」の訪れが分かったとしたら、その人は何をするのだろう?をいろんな人に聞いていた)
内容については一切調べず、話題作だしと思って手に取った作品。
同棲中の彼氏から、安楽死を考えている、という告白を受けるところから始まる物語。
主人公はそれを止めようとするんだけど、最後二人は別れる、というか同棲解消していたので、彼は安楽死に向けて着々と準備を進めているんだろうなと。
こういうのは他人によって止められるものではない思う。
かくいう私も、自分の「死」のタイミングは自分で決めたいなと思うので、この安楽死については”あったらいいな”と思う制度。
本の中では、日本では安楽死は認められていて、海外からも安楽死ツアーなるものが組まれたりしてひとつの産業として発展しているらしい。
最期を自分で決めたいと思うのは、やはり老いて自分で自分の世話ができなくなったことを考えるからだな。
意識もたまに途絶えて、それでも手厚い看護&介護で生きながらえて、果たしてそれは”生きている”ってことになるのかしら?と考える。
今、自分がその立場になってないからあっさり言えるだけなのかな。
身体も頭も思う通りにならなくても、それでも生きていたいと思うのかな。
それに、部屋で倒れてしばらく放置されていたとか、急に亡くなってお別れも言えなかった、とかその後対応する人たちに手間をかけさせてしまうかなと。
なるべく跡は濁したくない。ひっそりと死を迎えたい。
華美な葬式も望んでないし、そのあたりも自分で指定できたらいいのにと思っている。
「生まれる」ということは選択できないけれど、「死」については選択できてもいいのにね。
東京で暮らすリッチな若者の生活
主人公の女性が同棲する男性は、あきらかに作者がモデルよね……?
仕事の内容で、バンキシャだったりトクダネの小倉さんが出てきたり、コラムの締切や編集との打ち合わせが出てきたりと、考えないようにしたいのにどうしても顔が思い浮かんできてしまう。
個人的には、小説に書いた人の顔が見えるのってちょっとノイズに感じる。。
本人の好き嫌いと作品の内容は関係ないし、別に古市さんが嫌いなわけではないんだけど、プライベートを見ている感じがしてうわーってなる。
これがエッセイとかコラムだったらそのつもりで読むからいいんだけど、どうにも小説だと混同したくなくてゾワゾワする。
都内で100万以上するマンションに同棲中で、セックスはほとんどしなくて、服は高級ブランド品とユニクロで、食事はほとんどが高級店で外食で、ぽんっと星のやに泊まれちゃって、移動は全部Uber。
こんな生活しているわけではないけれど、なんとなく分かるわーって思うことが多い。
都会に住んで合理的に考える人であれば、共感できる点がたくさんあると思う。
そうか、今の時代を感じることがたくさん詰まっているのかもしれないな。
純文学は難しいよね
なんでもかんでもジャンル分けしたいわけではないけれど、個人的には純文学よりエンタメ作品の方が好き。
エンタメ作品の方が圧倒的に多いっていうのもあって、純文学に触れる機会も少ないよね。
友人も同じく純文学が苦手と言っていたんだけど、その理由がおもしろかった。
「作者のオナニーに付き合わされている気分になる」だって。
あ、なんか分かる、、って思った。
あきらかに自分のことを書いているなと分かる場合は、ちょっと厳しい。
共感できないものだったり、肌に合わないものは、読み続けるのが相当しんどいから途中で止めてしまうなあ。
あとは”で、何?”と思うことも多かったり。
何を伝えたかったのか読み取れないこともあるもので。
今回の作品は、純文学とは意識せずに読んだものだけど、けっこうおもしろかった。
安楽死って点と、都会暮らしの若者の共通点を見つけたからかと思う。